ベートーヴェンのハ短調、そして壮大な変奏という宇宙

「ベートーヴェンのハ短調、そして壮大な変奏という宇宙」の講座を終えた。第二回目の講座内容は最後のソナタ第32番Op.111(1821〜22年に作曲)について。第二楽章は変奏曲形式で書かれ、ハ長調で歌われる“Arietta(歌)”と記された神聖かつ平明な主題は、徐々に音楽の密度を増しながら私達を宇宙空間へ導き、遂には俗世から完全に脱却するような精神的な体験をもたらす。第9交響曲Op.125(1824年作曲)の最終楽章に、同様に平明な主題メロディー“歓喜の歌”を置いた意味と関連があるのかと思いを巡らしていたところ、同時期にベートーヴェンが筆を進めていた「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ)」Op.123(ほぼ5年の年月をかけて1823年に完成)が、周辺の作品の真ん中に大きく存在していたのではないかと思い始めた。第30番Op.109〜第32番Op.111の3曲はまさに「ミサ」の中から生まれ出た作品ではないかとも思う。

ベートーヴェンの人生において大きな危機を迎えた時期は、耳疾の悪化を自覚する1801年(30歳)頃、そして1814〜1818年の創作活動の停滞期だと理解している。停滞期を迎えた理由は、世俗的な名声や身内を含めた人間関係によるものと考えられるが、実際にこの時期に僅かな作品しか書かれていない。1816年からは筆談による会話を始めて外界との距離が大きくなっていく。そこから再起すべく着手されたのが「ミサ・ソレムニス」ではなかったか。その音楽は何度聴いても教会音楽という枠を超えて、時には心を奮い立たせられるような、ベートーヴェンその人の言葉で叱咤激励をされているような気持ちになる。フランス革命、ナポレオン戦争、メッテルニッヒ体制に象徴されるように、存命中にはついに叶わなかった理想の在るべき“真の美しい世界”へ思いを「ミサ」の作品中に込め、人々を音楽で導こうとしているようにも思えてくる。特に圧巻なのは、第3曲『Credo』の472小節のうち“vitam venturi sarcli. Amen” (来世の生命を待ち望む。アーメン)の詞のみに178小節があてられている。“来世”とは、もしかするとベートーヴェンが思い描く理想の世界かもしれない。

ピアノソナタや第九交響曲等において平明で真に美しい「歌」を歌いゆかせようとしたのは、自身の苦難を乗り越えながら、現実の世界に深くかかわり政治的にも文化的にも果敢に身を投じたベートーヴェンが、「歌」で人々を理想の世界へ導き、「歌」に心からの遺言を託したのかもしれない、と思った。

♪ ピアノソナタ第32番Op.111の第二楽章主題部分(左上に”Arietta“と記されている) の自筆譜の美しく整った楽譜の風景から、ベートーヴェンの心境が伝わってくるようです。

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