“音楽に国境はある”からこそ、素晴らしい。〜ガムラン初体験〜

先日思いがけず、ほんの少し!だけガムラン(青銅打楽器による合奏)演奏に加わる貴重な経験をした。昔、バリのガムランのコンサートを聴きに行った時に、神聖かつ一寸のズレのない、例えば32ビートでハイパーなアンサンブルを繰り広げような凄い世界に驚き、憧れを抱いたのを覚えている。勤務大学の音楽科の川口明子教授は、西ジャワ(スンダ)のガムラン・ドゥグンの専門家で、楽器も一通り揃っているので、学生たちは4年間ガムランを学び合奏を経験することができる。(これは羨ましい!)今回、ガムラン演奏と研究の第一人者である森重行敏先生、そしてパラグナ・グループと舞踊家を招き、教材を制作するための撮影が行われた。その中で私は「ガムランとドビュッシー」というチャプターにおいて、ピアノ曲『版画』の“塔 Pagodes“の一部を実演しながら、ガムランがドビュッシーへ与えた大きな影響を紹介する役割だった…のだが、ひょんなことから「ガムラン初心者」としてワークショップの撮影に参加することになったのだった。ところで、ドビュッシーが1889年のパリ万博で初めてジャワ・ガムランを聴きとても感動した話は有名だが、その後ジャワのスレンドロ音階(ピアノの黒鍵による五音階に似ている)やガムランの音楽の仕組みを研究、独自の表現を工夫して作品に取り入れた。ガムランといっても、実は地域によって様々な様式が存在する。大まかに言うと、バリの勢いのある演奏、ジャワ中部の大編成に対して、西部の小編成で落ち着いた感じの演奏が多い、などそれぞれの特徴がある。もしドビュッシーがパリ万博でジャワガムランではなくバリガムランを聴いていたら、また違った作風になっていたかもしれない、なんて想像してしまう。さて、初めてガムランの中でも特に奏でてみたかったサロン(鉄琴のような鍵盤楽器)に感激したのも束の間、なかなか良い音が出ない上に、右手で木槌のような撥(ばち)で打鍵した後に素早く左手で鍵盤を押さえてミュート(消音)し、音が濁らないようにして次の鍵盤に移らねばならず、これがテンポが早くなると何が何やら?で早くも頭がパニックに。次に、金属板を数枚重ねて竹の棒で面を叩きシャカシャカといわゆるビートを刻むクチュレという楽器に挑戦。シンプルなようで、お互いに聴き合いテンポや音量を自由自在に変化したり、即興が加わったりする音楽のなかでの緊張感はなかなかのものだった。ところで、ガムランの楽譜の記譜法や拍子の数え方やリズム感じ方も違うのだが、それを西洋音楽の記譜法に当てはめてみても明らかに「大きく何かが違う」と感じることになる。国や地域で受け継がれてきた文化にはそれぞれ違う価値観があり、そこから人々の歴史や生活を実感することもできる。そして、やはり気候や宗教や人種、言語などが色濃く反映される音楽には国境はある、と実感した。でも、音楽にパスポートはいらない、だから素晴らしい!と、思った。

パラグナ・ホームページ
https://www.paraguna.com/top.htm

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