レコーディングエンジニア・酒井崇裕氏による“ピアノ”という楽器についての考察

適当な言葉が浮かばないけれども、”うつわ”というのが近いのかも知れない。それは枠組み、制限と言うことも出来るけれども、それ無しでは何も始めることができない。おいしい水もうつわ無しでは、だだ無限に広がる液体を眺めるだけになってしまう。内容物をすくい取るうつわ。いろいろなものがある。
ピアノは何の楽器であるかと言えば、木の楽器であることは間違いないけれども、木と金属の織りなす楽器であるとも言え、その響きの濃度差は時代によってかなり違う。1843年、ショパンの生きた時代のプレイエルは、まったくもって木の楽器であって、組立て式の金属フレームは堅牢性を保持する為だけに添えられたように見える。
体感が全て。時代を経て今、当時の響きが具体性を帯びて私に向かって届いてくる。発音機構と急峻な音減衰が、かえって木そのものの響きと余韻を強く感じさせる。この楽器で作曲されたであろう曲は、この楽器の特性を色濃く反映して書かれたと想像され、それは、テンポ、レガート、モダンピアノでは分からなかった演奏記号の意味が腑に落ちたという演奏者である藤井亜紀さんの言葉によって裏打ちされていると思う。
職人の暗黙知と手業によって作られたこの楽器はとても美しい。サロンを飾った装飾家具と同じように当時の人の目を楽しませたのだろう。作り手その人の存在を強く感じる楽器。一方、隣に配置された1887年ローズウッドのニューヨークスタインウェイに目を転じれば、科学技術と工業化進展そのもの。フレームにずらりと刻印されたパテント番号がイノベーションの軌跡を物語る。とりわけフレームの鋳造技術と音響に関する研究開発の知見が結実した設計は、従来とは異次元な楽器にしていることに成功している。プレイエルからさほど時間が経っていないのにも驚かされる。当時の人はこれを見て度肝を抜かれたに違いない。ここには明らかな断層がある。科学技術と工業化の震源地がアメリカに移ったその時代。それと歩調を合わせるように新しい文化芸術も海を渡って胎動し始めた。
松濤サロンに並べて置かれた二つのピアノ。その距離はちょっと手を伸ばせば届くような位置だけれど、そこにはとてつもない歴史的意味の隔たりがあるように私には感じられた。そうした背景をイメージしつつ実際に聞くピアノの響きは格別でした。
今、気がついたのだが、楽器という言葉は”うつわ”と書くのですね。時代背景とそこに生きた人々によって醸成されてきた様々な楽器。奏でられる響きや曲も時代背景と切り離すことはできないと思う。

酒井崇裕氏( STUDIO 407 )へのコンタクトはこちらから可能です。https://www.studio407.biz/

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